2016/12/07

傾聴と共感

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幻聴や幻覚、被害妄想などに苦しむ統合失調症の本人に対して、家族がどのように接するのが
よいかを考えるとき、
傾聴と共感、更に言葉だけでなく愛情を込めたスキンシップとともに接することが大切です。
 
肩をやさしく摩ったりしながら共感的態度で傾聴してあげるのが良いのです。
 
1.「傾聴」は、親からの意見や指示はしないようにして、ただ、本人の言っていることを
      言葉だけでなく、そのときの感情の強弱やニュアンス等も読み取って復唱することです。
        「傾聴」では、本人の言ったことに対してアドバイスも批判も指摘もしません。
    ただ本人の言ったことを聴いて、おうむ返しのように復唱してあげるだけです。
  
          これによって、本人は自分の言ったことが受け入れられている(受容)と実感できる
          ようになるのです。

2.「共感」は、本人の言葉を復唱しながら、その言葉の背景にある感情をも読み取って
      理解する態度で応答することです。

3.「傾聴」と「共感」を意識した望ましい対応の例
 
        本人:「昨夜は一晩中、あいつが僕の悪口を言うので、ついに一睡もできなかったよ」
           親:「一晩中、悪口をいわれたので、一睡もできなかったんだね」 ・・・・・・傾聴
         「それは辛いだろうなあ。その気持ち、わかるよ」・・・・・・共感
        本人:「お前は怠け者だといっていたんだよ。お父さんには聞こえなかった?」
           親:「済まんが、お父さんには聞こえなかったけどなあ。
                 だけど、怠け者なんていわれたら辛いよなあ」 ・・・共感

      <望ましい対応の要点>
          (1)本人のありのままの気持ちを受容し、やさしい言葉で共感的態度で傾聴する。
        (2)やや前傾姿勢をとり、本人の前に身を乗り出すようにして聴く。
          (3)身振りを交えて聴く。
          (4)上体や脚を揺すらない。足を組まない。
          (5)腕組みしないで聴く。
          (6)凝視するのではなく、ソフトな視線を向ける。
 

4.「傾聴」と「共感」を意識しない、望ましくない対応の例
   
       本人:「昨夜は一晩中、あいつが僕の悪口を言うので、ついに一睡もできなかったよ」
        親:「それは『幻聴』というもので、病気の症状の一つなんだよ。
                現実の声ではないんだから、そんな声に負けるな!」
 
     <次のような対応は良くないといわれています>
         (1)本人の言っていることに対して否定や批判や説得などをしてしまう。
       (2)親の考えを押し付ける。
         (3)一般的な常識論で応答する。
         (4)本人の話を途中で遮る。
      
    
如何でしょうか。稚拙な文章ですが、ご理解いただけたでしょうか。
2016/11/16

非現実の世界

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統合失調症においては、幻聴や幻覚、妄想といった非現実の世界が患者の頭の中に強く現れる
ことがあります。
 
しかも、このような症状が現れると、本人はそれらがあたかも現実のこととして信じ込んで
しまうので、今までにない不安な気持ちあるいは怒りの気持ちなどが交錯して混乱状態に陥り、
非常に苦しみます。
このようなとき、親が「それは気のせいだよ」とか「そんなことあるわけがないでしょ」の
ような言葉で否定すると、「親は自分のことを何にもわかってくれない」等と不信感を強めて
しまい、親子の関係が険悪な状態になったりします。
 
では、そのような状態にならないようにするためには、親は本人に対してどのように接する
のが良いでしょうか。
 
それには、
医師に状況を詳しく話して、処方される薬をきちんと服用させることのほか、
(1)「私はあなたの味方よ」という気持ちで、本人がいうことに対して傾聴や共感を
   心がけること。そして親としての意見は一番最後に。
(2)言葉だけでなく、スキンシップで親の愛を示すこと。
主にはこのような態度が大切といわれています(T)。
 
(これらについては次回に少し詳しく)
 





2016/09/18

誰のせいでもないのです

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統合失調症は、脳内の情報を伝えるドーパミンやセロトニンといわれる神経伝達物質の
バランスがくずれて起こる病気です。
ご家族や本人が何かをしたから起こるという病気ではありません。
単純に育て方とか環境とか遺伝であるとかの問題だけで発症するのでもありません。
ですから、ご家族がご自身を責めるようなことはしないでください。

統合失調症を発症した本人は、今まで体験したことのない不安な状態におかれていて、
他人への不信感が増したり、閉じこもりがちになったりします。
家族はこのような本人の姿を見て、「なまくら者」とか「わからず屋」のように誤解し、
ついつい叱りつけたくなったりしがちです。
でも、これは本人の本来の姿ではないのです。
統合失調症という病気のせいなのです。


ですから、ご家族としては「私たちはあなたの味方よ」というメッセージを本人に送りながら、

病気で苦しんでいる本人を優しく理解してあげることが大切です。

このような家族の接し方如何が病気の回復に対して大きな影響を与えるといわれています(T)。
2016/09/02

子孝行

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世間一般では、親は自分の子供に親孝行をするように教えてきました。
でも、子供が親孝行をしたいと思うようになったときには既に親は亡いというようなことが良く言われます。
どうしてこうなるのでしょうか??

それは、親が親の勝手な願いをただ単に自分の子供に押し付けているだけのために、
子供には親の愛情というものが伝わりにくかったためではないでしょうか。

では、どうすれば・・・・・・・?

以前にも書きましたように、
親は、ロウソクの灯のように自分の身を削ってまでも子供の為に尽すのです。
何の代償を求めることなく、尽しても尽しても限りのない真の愛で子供を育てるのです。

これはまさに「子孝行」であるといえます。
こうすることによって、子供が限りない親の愛を感じて「親孝行」をするのです。
家庭平和の基本がここにあります(C)。


2016/07/15

猫博士2

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A:猫博士! またまた登場ですか。 調子に乗って!!
  月夜の天を仰いで、今度は何を思案して??
B:憎いあやつをどうやって懲らしめてやろうかと・・・・
A:それで、天の神様は何とおっしゃいました?
B:懲らしめるという考えは良くない。 そんなことをしたら、相手は却って反感を強めるばかりであると・・・・
A:では、どうなさるんですか?
B:うーーん。 どうしたものかなあ・・・・・・・・・ (T)
2016/06/11

猫博士

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猫博士!
そんな恨めしい目でどんよりした空を睨み付けて、一体なにを憂いていらっしゃるのですか?
 
  いつまで経っても戦争の絶えない国際情勢?
  少子化に伴う将来の行く末に対する不安?
  家庭崩壊の現状?
  その他にもいろいろ?

何か解決策は見つかりましたか?

真の愛はどこに飛んで行ってしまったのでしょうね??(T)
2016/06/10

ロウソクの灯り

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ロウソクは自分の身を削りながら周囲にやさしい明かりを灯します。

人はみんな平等ですよね。
特に子供たちは、私たちの未来につながる大切な宝です。
例えどんな障害を持った子供であっても、私たち親にとってはかけがいのない愛しい息子・娘です。
ですから、私たち親はロウソクの灯のように、自分の身を削ってまでも愛しい息子・娘の為に尽すのです(T)。

2016/04/20

蝶の夢

ブログ用ゼフ2
 
このたびの熊本大震災により、被害に遭われた地域の皆様に心からお見舞いを申し上げますとともに、
一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

 さて、シジミチョウの中でもミドリシジミと呼ばれる仲間は、上の写真のように翅が美しい金属光沢を
有しています。
 このミドリシジミの仲間は、体長が20mm位の小さい蝶で日本では25種類あまりが各地の山々に
生息しており、毎年6月~8月にかけて、翅をキラキラ輝かせながら食樹の梢の上を飛び交っている場面
に出会うことができますが、このようなミドリシジミの姿は、まるで宝石が空中を飛び回っているようです。

 何頭ものミドリシジミが大空に光り輝いて乱舞する光景を飽くことなく眺めていると、これもまた私たち
人間に対する神様からの素晴らしい愛のプレゼントであることに気付かされて、深い感動を覚えます。

 ところで、ミドリシジミの仲間はそれぞれが体内時計を有していて、種類ごとに活動する時間帯を区別
することによって種族間の争いを避けるという生活の知恵を身に付けているのですが、私たち人間の
場合はどうでしょうか。
 家庭、国家、民族、世界と、どこにあってもいつまで経っても人間同士のいがみ合いが無くならない
ですね。どうしたら良いのでしょうか。
 まずは、人間社会の最小単位である「家庭」の平和を深く追い求めていくことから始めることが大切
であると思います(T)。


<蝶の名前>
アイノミドリシジミ タイワンミドリシジミ エサキミドリシジミ ムシヤミドリシジミ ソウリーミドリシジミ ネジキミドリシジミ
  (日本)    (台湾)        (中国)        (中国)        (ミャンマー)     (中国)

ヤクシマミドリシジミ ヒサマツミドリシジミ インターメディウス  ニシカゼミドリシジミ イチモンジミドリシジミ ワトソンミドリシジミ
  (日本)     (日本)         ミドリシジミ       (台湾)         (台湾)         (中国) 
                        (ラオス)
ネッタイミドリシジミ キリシマミドリシジミ   カノミドリシジミ   メスアカミドリシジミ  カンチンミドリシジミ デユマミドリシジミ
 (マレーシア)   (日本)          (台湾)         (日本)         (中国)       (中国)
2016/03/25

親の思い(2)

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冬眠からやっと覚め、眩い春の光をいただき、身体が少しづつ動き始めました。

私が今日まで生きてきた経験や感想を、私の過去のブログの中で子供の目からと親になって
からの目の両方について綴ってみましたので、ご参考になさっていただきたいと思いますが、
世の中には私と同じような環境で、いやもっと凄まじい人生を送って生き抜いてこられた方も
数多くいらっしゃるでしょう。

子供を虐待したとか死なせてしまったというニュースが報道されるたびに、子供が可哀想という
イメージで伝えられます。
勿論、その通りです。

しかし、私はいつも思うことがあります。
その子たちの両親はどのような育てられ方をしてきたのでしょうかと。
きっと寂しくて親の真の愛を知らずに育ったのです。特に母親の愛ですね。

私は、いま子育て中のお母さんたちに、せめて幼稚園くらいまでは毎日1回は必ず抱きしめて
「○○ちゃん、大好きよ」といってね、
とよくいいます。

日本人は、特に男の子に対しては大きくなると抱きしめることなどを殆どしなくなりますね。
子育て中のお母様方、沢山沢山スキンシップをして下さい。
大切な旦那様にもお忘れなく!!

私たち親が夫婦一つになって平和な家庭を築き、生まれてくる子供たちを真の愛で育てることに
よって、子供たちも安心して成長していくことができるのです。
きっと、いじめもなくなるでしょう。(C)。
2016/01/01

新しい年のはじめに

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あけましておめでとうございます。
昨年は、私達の拙いブログに沢山の方々の訪問をいただきましてありがとうございます。
本年も引き続き応援くださいますよう、お願い致します。

地球上の争いが早く終わって平和になりますように。
私達一人一人が互いに恨むことを止め、許し合う輪を拡げてゆけば、必ずや平和がやってきます。
祈り(C)
2015/12/29

愛心、恋心

ミーコと子供
愛とは何? 恋とは何?
愛は英語ではlove(ラブ),韓国語では사랑(サラン)、中国語では喜欢(ピンイン)、フランス語ではAimer(エメ)、ドイツ語ではLieben(リーベン)といいます。
恋も英語ではlove(ラブ),韓国語では사랑(サラン)、中国語では喜欢(ピンイン)、フランス語ではAimer(エメ)、ドイツ語ではLieben(リーベン)といいます。
上記のように、愛も恋も外国語では同じ言葉で表現します。
でも私達は、日本語では愛と恋は使い分けています。
外国語と比べて、日本語は表現の微妙なニュアンスを伝えるのに適しているのです。
そして、
恋という字は心が下に位置していますね。即ち、下心・・・・これには騙されないように気を付けましょう。
愛という字は、心が真中に位置していますね。即ち、真心・・・・これこそ真の愛に通じることばです(T)。
2015/10/13

親の思い(1)

文字色201303 コロン親子

皆様のおかげで、大いに励みになっています。
多数の方々に訪問していただいて、たくさんの拍手もありがとうございます。
感謝いたします。これからも応援してくださるようお願いいたします。

私たち親も傷ついています。
それゆえに、子供を愛するということを知らないのです。
自分の感情が先に出てしまって、子供に体罰や虐待をしてしまうのです。
私たち親は、「真(まこと)の愛」とは何であるかを知らずに生きてきました。
{真の愛」とは与えても与えても与えたことすら忘れ、見返りを要求することなく、
相手に尽くす愛です。
この世に生まれてはきましたが、どのように生きていけば良いのかがわからないのです。
学校では国語や数学、英語などを教えてくれる先生はいますが、
家庭での生き方をおしえてくれるところは一つもありません。
ましてや、教える人等いません。
唯一、親の姿が反面教師でしょうか?
個性完成(為に生きる、許す、愛する、感謝するという生活を通して人格を形成すること)が
できないままに、巷でいわれるように結婚適齢期になると異性をさがし、目的もわからず結婚し、
子供を産んだところで、育て方もわからないのです。
また、夫婦で、親子で、嫁姑でいがみ合い、褒めることや許すことをしないので、
すぐに別れていくのです。
このままでは人類はやがて滅んでいくでしょう。
イエスさまも恩讐を愛しなさいと教えています。
家庭連合では許すこと、愛すること、一つになることを教えています。
それを実践することで、夫婦の危機や親子の断絶、嫁・姑のいがみ合いなどを乗り越えた人が
沢山います(C)。
2015/06/05

子供たちの叫び

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私たちは大変傷ついています。
生きる希望を失っています。
生まれてこなければ良かったと思っています。

お願いします。絶対に離婚をしないでください。
私たちはお父さんとお母さんに何も言うことができません。
ただただ黙って付いていくことしかできません。

離婚する当事者は、嫌いになったからといって相手から逃げることができるかも知れません。
しかし、私達子供は逃げることができません。
お父さん一人とお母さん一人だけで充分です。
沢山のお父さんやお母さんは要りません。
私たちはお父さんとお母さんが仲良くしている姿が大好きです。それが一番幸せです。

統一教会の教えの中に、離婚することは子供の身体を二つに引裂いてしまうことですとあります。
この意味は、子供の心をズタズタに引裂いでいるということです。
この心の傷は、誰も埋めることができませんし、子供自身も消し去ることができないのです(C)
2015/05/12

幸せの扉

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人は誰でも幸せを求めて努力しながら生きています。
しかし、いくら努力しても努力しても幸せを得ることができないまま苦しんでいる人も少なく
ありません。

幸せを呼ぶためには、毎日ただ単に仕事に家事に努力するだけでなく、幸運を引き寄せる
生活を心がけることが大切なのです。

幸運を引き寄せる生活とは:
人を分け隔てなく燦々と降り注ぐ太陽のように、いつも人に笑顔で接して心のこもった言葉を
かけ、あげてもあげても決して見返りを求めず、ありがとうという感謝の言葉を惜しまない
態度で生活することですね。
例え、自分は不幸者であると感じる毎日であったとしても、その不幸に感謝しましょう。
そうすれば、不幸でしか得られない幸運が巡って来るといいます。

でも、言うは易し、行うは難し。
難しいけれども、お互いそれに向かって努力しましょう(T)。
2015/01/05

「えっ!!」 私が同性愛者になる?(2)

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どのようにして同性愛者になっていくのであろうか?

統一教会で学んだことと、今日まで自分の育った環境の中で生きてきた私の体験とを照らし合わせて
みると、答えが出てきました。

1番目に考えられることは、親が離婚、再婚していること、
2番目は親が不倫していること、
3番目は夫婦仲が大変悪いこと、
だと思います。

特に1番目と2番目は大きく影響を及ぼします。
そして、その子供や孫も離婚、再婚をするようになり、行き着くところ、同性愛者になっていくのです。

男性の場合は女性(母親)に恨みがあり、女性の場合は男性(父親)に恨みを持つようになります。
また、離婚した夫婦は相手に対して恨みを残し、死んで魂となってからは子孫に訴えてくるのです。
よくよく思い出してみると、母親が亡くなってからじわじわと苦しみが増してきたように感じます。

私の兄もそのころに夫婦別居生活を強いられることになります。
離婚はしていませんが、別居してからもう20年以上にもなります。
兄の男の子も20歳位で結婚をしましたが、3年程で2人の子供ができたにもかかわらず、離婚をして
しまいました。

3番目の場合は、初めから結婚をしないケースが多いように感じます。
勿論、1番目も2番目も、同じように結婚しない人も少なからずあるようです(C)。

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追記:
この記事をお読み下さった方々には心から感謝します。
拙い文章ではありますが、できれば過去のブログにも目を通して頂けるとなお嬉しく思います。
2015/01/04

「えっ!!」 私が同性愛者になる?

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ある日、「愛している」といって冗談の積りで17歳位の娘を抱きしめたとき、「えっ、この感覚は、
この心地良さは一体何だろう?」と私の脳裏を過ぎったのは、私は同性愛者になりかけていると・・・・・・。

しかし、同性愛者になりかけていた私のアブノーマルな感情も、長男との関係のときと同じように、
時間はかかりましたが、少しずつ少しずつ解消されていきました。

このような私の経験からいって、同性愛は必ず治ります。
ですから、特に男性の場合、性転換手術は絶対にしないで下さい。異性との結婚ができるように
なりますから。

結婚することによって自分たちの可愛い赤ちゃんを産み育てることができ、子孫が繁栄して家庭を
完成する第一歩を踏み出すことができます。

読者の皆さん、是非とも統一教会にお出かけ下さい。
人間はなぜ生まれ、死んでいくのか、人生の目的はなにかが解き明かされています(C)。
2014/12/26

罪びと

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今から30年ほど前の話です。
それまでは関西に住んでいたのですが、夫の転勤で関東の地へと移り住むことになりました。
それ以来、原因不明の身体の不調に悩まされることになります。

関西に住んでいた頃は普通に元気に生活できていました。
私は虚弱体質でしたので、風邪はよく引きましたし、そのために時々4,5日ほど寝込むことも
ありましたが、別段の支障もなく、専業主婦をこなしていました。気の置けない友人もできました。
ご近所付き合いもできて、楽しく暮らしていました。

ところが、関東に移ってからというもの、そこの土地が私に合わないのかどうか、原因は全く
わかりませんが、いつも身体が重たくて、何をするにもやる気がおきなくて、すぐに横になりたく
なり、最小限の家事以外はゴロゴロばかりしていました。

ここでの生活は4年間で終了し、今度は夫の転職で近県に引越しをしました。
しかし、新しい引越し先でも私の身体は何の変化もなく、むしろ少しずつ少しずつ身体の重い
状態が増してきました。
その頃、私はこの状態が続くようであれば、そのうちに寝たきりになってしまうのではないかと
思うほどでした。

ある日、人と話をしているときに突然に呂律が回らなくなってびっくりしました。
この先、私の身体はどうなるんだろうと不安におびえました。

家庭の中でもいろいろと問題が起きてきました。
長女を出産してからというもの、私は上の男の子である長男を抱いてやることがありません
でした。
そして、長男には厳しく当たってばかりいました。愛情さえも段々と薄らいでいくような気さえ
して、反省しようと心に思っても、どうすることもできない自分になっていました。
長男のちょっとしたことが癇に障り、親子げんかばかりしていました。

そのような私が、統一教会に通うようになってからは、心が穏やかに変化するようになり、
それに伴って身体の重い症状も少しずつ消えていきました。
統一教会で沢山のことを学んでいく内に、もし、統一教会に通っていなかったら、私は長男に
殺されていたかもしれない罪びとであったと気づかされました。
長男には何度も何度も謝りました。
それ以来、長男は私に段々と心を開いてくれるようになりました。
長男の心情を理解するように努め、自分の言動が長男の心情を傷つけてしまったと思った
ときには躊躇することなく率直に謝ることの重要性を身に浸みて学び取りました。
よろしければ拍手をお願いします(C)。
2014/12/13

惑わされないでね!

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今から随分と前の話になりますが、あるときテレビのワイドショーで統一教会のことを取り上げて
いました。そこでは「統一教会は悪徳宗教である」と批判していました。

たまたまこの番組を見ていた私は「統一教会というところは怖いところなんだ。こんな宗教に
騙されないように気をつけよう」と思いました。

しかし、その後に統一教会に通うようになってからは、そこで勉強すればするほど世界平和を目指す
超宗教的な教会の教えと行動力に引き込まれていきました。
そして、「ここでしか人の生きる道はない」と確信しました。

私は、そのとき以来、ワイドショーというものに疑問を抱くようになりました。
ワイドショーというのは視聴率を意識しすぎるあまり、その時々の話題を興味本位に作り上げて
しまうんですね。
統一教会については、なぜきちんと調べた上で報道してくれなかったのでしょうか。
報道の影響は多大なもので、責任は非常に重大です。
一旦、間違った報道がなされてしまうと、それが人々の頭の中に永遠といっていい位に浸み込んで
しまい、取り除くのが困難になります。

最近のテレビも、中高年の私などが見て感動する番組は殆どありません。ですから私はテレビは
あまり見る気にはなれず、もっぱらラジオ党です。
でも、そのラジオですら、最近は頭を傾げたくなるような番組がときどきありますね。

報道する側としては視聴率upが大きな使命としてあるのは当然であるにしても、だからといって、
内容をよくよく吟味もしないで、また視聴者に及ぼす悪影響を考慮することもなしに、単なる興味本位で
番組を作るというのは、人道的に如何なものでしょうか(C)。
2014/11/25

人生や価値観を変える出会い

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しばらくご無沙汰しました。
私も生身の人間。病院にお世話になっていました。

今の世の中は、誰に聞いても大小いろいろ、形が違っても問題を抱えていない人はいないと皆さん
口をそろえて言われる時代に入ってきています。
私の家庭にも不幸がじわじわと忍び寄ってくる気配を感じ始めていた頃のことです。
それは、いつだったか前に書きましたように、あれから28年位経ったときでした。
人生を180度変えるような所に出会っていくことになるのです。

私の娘と同じ中学で、学年が一緒の娘さんを持つお母さんが私の家に尋ねてこられるようになり、
人の生き方について勉強に来ませんかと誘われて、そこへ出かけて行くことになりました。
そこでの話は、学校やテレビ、ラジオ等では全く教えてくれない素晴らしい内容で、
初めて聞くことばかりで、感動の毎日でした。

しばらくして彼女が「ここは統一教会です」と教えてくれました。
それを聞いて、またまたびっくり仰天でした。
心がものすごく動揺し、「うそでしょう?」とショック状態になったのは事実でした。

しかし、止めようと思う気持ちには全くなりませんでした。
むしろ、勉強に行くのがうれしくてたまりませんでした(C)。
2014/07/21

振り返ってみると!!

19940817芦ノ湖c


長男は小さいときから母親である私の顔色を見ながら育ってきたところがあります。
私に愛されたい一心だったのです。
一方、私ときたら子育てに全力で取り組むこともなく、ただ漠然と1日、1週間、1月・・・と
何にも考えることなしに生きてきました。

結婚して10年、20年が過ぎていく中で、夫婦の間でも親子の間でも少しずつ問題が
出始めるのです。
夫に対しては、私のことを全くわかってくれないという思いが強くなり、自己中心的な考えを
持つようになっていきます。
両親同様、私も紛れもなく個性完成などできるはずもない人間です。そのような状態で
結婚したのですから、ましてや家庭を完成していくなどできませんでした。

母の私は高度成長期の時代に子供を産み、世の中の流れに完全に踊らされて、物質的に
成功した人や偏差値の高い大学をでた人が立派で優れているという考えを植えつけられて、
その波に乗ろうとする一人になっていきました(C)。
2014/07/16

君は我が定め

19920822白泉寺

人は誰でも幸せを求めて生きていると思います。
なぜなら、幸せになることこそが人生の目的であるからです。

ところで、幸せとは一体何でしょうか。人はどうなった時に幸せを感じることができるのでしょうか。

当然のことながら、幸せとはお金で手に入るようなものではありません。そうでしょう?
幸せとは、愛しあう二人が一緒になって「家庭」を作り、辛苦を共にしながらも末永く愛に溢れた
生活を実感できたときに、しみじみと心に湧き上がってくる喜びの感情であると思います。

人は男と女が愛し合って結婚し、「家庭」を築きますが、そのような「家庭」は人生における大切な
愛の学校なのであり、人生の出発点なのです。

結婚以降の愛を中心とした「家庭生活」を順を追って考えてみると、次のようになるといえるでしょう。

(1)結婚によって「家庭」に新しい命である赤ちゃんが誕生すると、赤ちゃんは両親の愛を一身に
受けてすくすくと成長していきます。
そして、赤ちゃんの愛らしい姿を見るとき両親は心が癒されます。特に赤ちゃんが親の顔を見つめ
ながらにっこりと笑った瞬間、母親も父親も無上の喜びを感じるのです。
この笑顔は子供が親に対する生まれて初めての恩返しなのですね(子女の愛)。
(2)赤ちゃんが成長していく中で、言葉や立って歩くことを覚え始める頃には、赤ちゃんはもはや
赤ちゃんではなく幼児とか子供とか呼ばれるようになります。そして、子供に兄弟姉妹が加わると、
子供たちはお互いに労り、助け合うことを学んでいきます(兄弟姉妹の愛)。
(3)子供達はいろいろなことを学習しながら心身ともに成長し大人に近づいていきますが、
いよいよ年頃ともなれば異性に対する愛に目覚めます。そして伴侶が見つかると結婚し、
お互いに「ために生きる」を実践しながら愛し合う二人の新しい生活が始まります(夫婦の愛)。
(4)夫婦に赤ちゃんが生まれると、親は赤ちゃんに向かって全力で愛を降り注ぎます(父母の愛)。
同時に、子育てを通して親自身の人格形成にも自然と磨きがかかっていきます。

人は、これら四段階の大きな愛を完成することによって永遠の幸せを掴むことができます。
このような愛に満ち溢れ、為に生きる人たちが集まれば、社会にも愛が満ち満ちていくことに
なります。
そして、そのような社会では戦争や葛藤といったものは存在しなくなり、幸福な社会が築かれて
いくでしょう。これが即ち、私たちの人生の目的なのです(T)。
2014/07/04

結婚生活を送っていく中で

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これから二人で家庭を作っていくにあたり、どのような目標を持ち、お互いの気持ちを尊重し、
相手の立場に立って行動し、心を割って話し合うことができる夫婦がどの位いるでしょうか。
自分を犠牲にし、為に生きようと思う心があるでしょうか?
先ず自分が変わらなければ、絶対に相手を変えることができません。

また、子供が生まれて、その子達をどのように育てていくかを夫婦でじっくり考え、子供の
将来のことに真剣に取り組んでいく親がいるでしょうか。私は殆どいないと思います。

成り行き任せで結婚し、子供を産みながらも、相手のことが嫌になれば自分のわがままには
気付かず、相手が悪いといとも簡単に離婚をしてしまう。今はこんな世の中です。
果たしてこれで良いのでしょうか。

ご多分に洩れず私の家庭でも少しずつ少しずついろいろな問題が出てくるのでした。

私は、夫をはじめ、自分と関係のある人たちに対して、自分の言いたい気持ちを全く口に出す
ことができませんでした。
その結果、ストレスが積もり積もって長男に当たり散らすようになってしまいました(C)。
2014/06/13

父親

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母との関わりは沢山ありますが、父のこととなると良く考えなければ浮かんできません。
思い出すことは、どちらかといえば良いことよりも悪いことの方が多くありました。

父親?
先ず居るのか居ないのか分からない位でした。
子育てはおろか、父を交えての家庭の団欒、家にはひと月に10日ほどしか帰ってきませんでした。
母もきっと寂しい結婚生活だったと思います。
唯一、自分の子供(私の弟)を産み、育てることが生きがいだったと思います。
父は、子供の前でも平気で「子供は要らん」といっていました。
これは大変に恐ろしい、子供の前では絶対に言ってはいけない言葉です。

私も、結婚しても父のように子供は要らないと思っていました。
子供の時、その言葉を聞いた私は何にも感じることもなく、ただ「ああそうなのか」と聞いていましたが、
時々思い出しては「ではなぜ私を産んだのか、産んでくれなくても良かったのに」と思うばかりでした。

父は、結婚するまでに個性完成が全くできていません。
そのような人が家庭完成をなすことができるはずがありません。
その血統を受け継いだ私たち子供が個性完成し、家庭完成をなし得る訳もありません。
兄は20年以上も別居を強いられています。

このように書いてきましたが、私は父親を攻撃しているのではありません。
自己中心的な言葉で子供を育ててはいけないということを言いたいのです。
今、子育て中の方やこれから出産される皆様に私の体験をお伝えすることによって、
少しでも参考になりますように!(C)。
2014/06/06

さなぎから蝶になるように

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結婚することで親からはばたいて出発(旅立ち)しましたが、いつまで経っても親は親、
子は子の関係を断ち切ることはできないものです(例え実の親でなくても:私の場合
がそうです)。
親は私に相変わらずいろいろなことを要求してくるのです。

私は物心が付いたときから母親の顔色を窺い、母親の要求・指示に反抗しないよう
に注意しながら生きてきました。
それは、母親に「良く思われたい」、「愛されたい」の一心でした。
そして何よりも自分の居場所を確保するためでした。

しかし、逆に考えると、母親は私に対して常に親孝行を望んでいるのだということに
気が付きました(C)。
2014/04/07

不幸は幸福への始まり(9)

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結婚するには、その前に沢山の準備がありますが、母はそのことに対しても、父と特に私に
ありとあらゆることに口うるさくいってきました。
でも私は、結婚することで母から解放されて自由になれるとじっと我慢してきました。

しかし、母にはどんなに感謝しても感謝しても足りないことがあります。
それは、結婚するまでは絶対に性的関係を持ってはいけないと毎日のように母が言い続けて
きたことです。

私は心の中で「うるさいなあ」と思いながらも母のいうことを守りました。
このことがどんなにか大切で尊いことなのかと考えたことはありませんでしたが、後になって
そのことが人間にとって大事で、正しく生きることを学ぶ時が来るのでした(C)。

2014/03/18

不幸は幸福への始まり(その8)

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教会は以外にも家の近くにありました。
自分から進んで一人で初めていく教会でした。
いよいよ自分の考えで行動する時が来たのだと思いました。
母には何にも言わないで出かけました。

しかし、親の目は鋭いものです。帰ってきた私に、どこへ行ってきたのかと聞いてきました。
「教会に行ってきた」というとすごい剣幕で怒鳴りつけ、怒ってきました。「そんなところには行くもの
ではない」と。
またまた私はいつものように言い返すことすらできず、ネコに睨まれたネズミのように小さくなって、
ただただ黙って聞いているだけでした(ちなみに私はネズミ年です)。
母にこれだけ厳しく反対されると、二度と教会にいくことはできませんでした。

さて、これから私はどう生きればいいのかと考えました。
結婚をしないで一人で生きていく才能や自信など全くありません。
職場の先輩たちのように結婚して幸せになるのだと思うことはありませんでしたが、親が願うことは結婚
なのかと感じました。

そして、縁があり私も結婚することになりました。
母親が反対することで、また自分の思う方向に行くことができませんでした。

しかし、母の言うことを聞くことで、それから28年後に私の人生や家庭を大きく変えるものすごい出会い
に繋がるとは予想だにすることができませんでした。

自分の思う通りに生きられないことに対して、いつも「自分は不孝者である」と思っていましたが、
いよいよ幸せへの道が開けてきたのです(C)。



2014/02/04

強く生きる

20060503極楽坂DSC_0560baa
第二次世界大戦の際にフィリピンのルバング島で戦列に参加された陸軍少将の小野田寛郎さんが、
上官からの指示がないために終戦後も27年間の長きにわたってルバング島に潜伏を続けた末に、
元上官からの説得に従い、ようやくのことで帰国されました。

この小野田さんは、帰国後は全国各地で若者を対象にした「自然塾」を開催したり戦争体験を
講演して回ったりして、「人は一人では生きられないこと、そしてまた助け合いの大切さや優しさの
心を持つと同時に、感謝の気持ちを忘れないようにして生きていくことが大切」と語り、
逞しい青少年の育成に努められたといいます。

その小野田さんも先般、91歳で死去されました。
ルバング島時代は、文明の進歩から閉ざされ、孤独で不安な毎日においても幾多の辛かった
ことや苦しかったことを乗り越えられ、そしてまた帰国後においては、日本の将来を背負って立つ
若者に対して「為に生きる」を実践されながら、「人間としてのあるべき心の基本」を教えて
下さいました。
真に素晴らしい方でした。
2014/01/16

本心と邪心

19991196河口湖日没a

今冬は気温だけで見ると結構寒い日が続いてはいますが、今までのところ道路にも積雪がなくて、
この時期としては例年になく雪が少ないですね。
これは有り難いのやら有り難くないのやら、働いていらっしゃる皆さんからしてみれば、人によって
評価が分かれるところだと思います。

今はお金さえ出せば冬は暖房、夏は冷房の効いた環境で生活ができますから、その意味では
大変に過ごしやすい、有り難い世の中であるといえましょう。

しかし、めざましい科学の進歩によって人間の生活は益々便利になってきているとはいうものの、
その一方で一向に戦争が無くならないし、あちらでもこちらでも争いが絶えないだけでなく、
凶悪犯罪や自殺者の数が年々増えつつあるという現状をみたとき、遠い過去から現在に至る
までの人間には何か大きな足りないものがあることに気付きます。
それは一体、何でありましょうか。

人は誰でも、その心の中に本心と邪心とを併せ持っています。
本心は善の心、邪心は悪の心です。
ですから、人間は本心に忠実に生きていくべきですが、現実には、ややもすると邪心の方に
引っ張って行かれてしまいがちです。
そして、この邪心こそが人間の、社会の元凶となっているのです。

世の中から争い事がなくなり、心の豊かな人間関係に結ばれて、誰もが明るく生きていける
ようにするためには、私たちは、科学の進歩に基づく、より便利で快適な生活だけを追究する
のではなく、家庭で社会でそして世界中で「愛」の心をもっともっと育み実践するので
なければ世の中は良くはならないでありましょう。それには宗教の力が絶対に必要です。

科学による真理の追究と宗教による真理の追究、この両者を追い求め続けることこそが
私たち人間にとって重要です。

邪心を振り払って本心で、そして愛のある生活を生きていきましょう(T)。

2014/01/13

不幸は幸福への始まり(7)

20011020小田代が原1da

母は、兄に大学に行ってほしいと願っており、兄が中学の時にはご近所の学芸大学(現、教育大学)の
学生さんに兄の家庭教師を頼んだりしていました。
しかし、兄はこのような母の愛を率直には受け止めることができませんでした。
その理由は、丁度この頃に「今の母は自分を生んでくれた母ではない」ということを兄が知ったからです。
生みの母のことを知っている中学校の先生が兄に母のことを聞いてきたそうです。
それから随分と後になって、兄が私に話してくれました。

そのようなことがあって、兄は育ての親に「お母さんの見栄のために自分を大学に入れたいのか」といった
そうです。
このために、兄を大学に入れたいと一生懸命になっていた母は突然、兄に対する進学の心配りを止めて
しまったのです。私は「どうして?」と不思議に思っていました。

結局、兄は大学に行くことなく、高校を卒業すると就職しました。

高卒で社会人になった人達がみんな一様にいう言葉があります。
兄も同じように「大学に行っておれば良かった」といいました。

人はみな、学校を卒業したら社会に出て働くのですが、私たち兄妹もこのような世の中の通例の流れに
逆らうこともなしに社会人となっていきました。

しかし私は、一旦は就職してはみたものの、自分の心の中にくすぶり続けてきた小さな反抗心のためか、
あるいは世をはかなむ空しい心のためなのか、尼さん(シスター)になりたいと思うようになりました。
そして、家の近くや通勤の途上に教会がないか探しまわりました(C)。


2014/01/04

不幸は幸福への始まり(6)

20040107上市より6ca

父母が父に対して怒る気持ちは私には良く理解できましたので、父がオーバーコートを買ってくれた
ことを大変恨めしく思いました。
父と母の二度目の大きな夫婦喧嘩は、私が社会人になった年でした。
私がハンドバックが欲しいといったので、これまた父が買いに連れて行ってくれることになりました。
買ってもらって帰宅すると、母は自分が思っていたものよりも立派なものであったために、
前回の時と同じように父と大喧嘩になりました。

それまで私は物心が付いたときから自分の欲しいものを買ってとは一度もいったことがありませんでした。
ですから、このことがあってからというもの、私は親に物を買ってもらってはいけないのだと改めて
自分に言い聞かせました。

そのことが私の習慣になりましたので、今でも何かものを買うときは、それが本当に必要なものかどうか
良く良く考え、できるだけ買わないように心がけて、買ったものの気持ちになって大切に使い、
最後は「有難う」といって処分しています。

結婚しても、夫は何でもすぐに買う人、私は要らないものは絶対に買わない人です。
ちなみに、その時のオーバーコートは娘がときどき着ています。
そして私が死んだときには棺に入れてもらう予定です。
そのオーバーコートも買ってから50年になりました。

思えば母も父からは何一つ買ってもらったことがありません。
日本も少しずつ豊かになり、巷ではテレビ、冷蔵庫、洗濯機などが出回り始めました。
近所や友達の家ではどんどん買いそろえていきますが、しかし私の家だけがいつも一番最後でした。
母はあるとき父に「冷蔵庫が欲しい」といったところ、父から「そんな贅沢なものは要らん」と
怒鳴られたと何年か経った頃に母が話してくれました。
母は辛抱に辛抱を重ねて私たちを育ててくれたのです。
私には、そんな母の気持ちが痛いほど良くわかります(C)


2014/01/04

不幸は幸福への始まり(5)

20040218自宅前よりba

大好きな母がどうして私の本当の母でないのか?私は本当の母であってほしかったと思ったものです。
しかし、どんなに立派な育ての母だとしても所詮、堕落人間です。
夫婦喧嘩も何度かありました。その中で、私が関係した大きな喧嘩が2回ほどありました。
その一つは、父が私に物を買ってくれたことが原因でした。

それは中学3年のお正月のことでした。
その年は父の会社の景気が悪く、ボーナスも本当に少なくて、母は家計をやりくりして、やっとのことで
お正月を迎えることができたようです。
そのお正月に、父はバスで1時間30分ほどもかかる家から遠い場所にある大きな町に私と弟を連れて
行ってくれました。
そこで父は私にオーバーコートを買ってくれました。

私は何度も「いらない」といったのですが、父は私の気持ちなど気にせずに買ってしまいました。
私は「いらないのに」と思いながらも少しは嬉しい気持ちになりました。
しかし、この買い物が家に帰って大きな事件になるなど、その時は考えてもみませんでした。

私がコートを着た姿を見るや、母はびっくりするよりもすごい剣幕で父に食ってかかり、ついに大喧嘩に
なってしまいました。
挙句の果てに母は「別れる」とまでいいだしました。
祖母は私のそばで、私と一緒に小さくなってうずくまり、黙って喧嘩が収まるのを待っていました。

次の日のことです。
家から歩いて40分ほどのところに母のお兄さんが住んでいるのですが、母は私と弟を連れてそこへ
出かけて行きました。
兄に相談するためでしょう。

私はその場所に私も一緒に連れて行かれたことが不思議で、当時の母の気持ちが未だに理解できません。



2013/12/30

雲泥の差

20081120古城公園DSC_3399ca

情報誌のポスティング(配布)を行っていた時のことです。
とある家の前に来た時、玄関先の庭でご主人がマイカーの洗車をしていらっしゃいました。
「おはようございます。情報誌の〇〇です」
と声をおかけしたところ、そのご主人が洗車の手を休めて、
「これはこれは、有難うございます」
といって、両手を差し出して受け取って下さいました。
一方、ある家で玄関のドアの郵便受けに情報誌を投函したところ、家の中の多分ご主人と思われる人
が早速それを取り出すや否や、
「誰だ、こんなゴミを勝手に家に入れた奴は」
と大声でどなり散らす声が聞こえてきました。

新聞の購読料の集金を行っていた時のことです。
質素な佇まいのとある家では、私を正座して出迎えて下さった老夫婦が畳の上に両手をついて、頭を
畳にこすりつけんばかりにして、
「いつもいつもご苦労様です。ありがとうございます」
と心からの感謝の言葉を下さいました。
一方、ある家では、
「今、お金がない。出直してきてくれ」
とあまりにも冷たい返事でした。

人間模様の一幕を垣間見た瞬間でした。雲泥の差ですね。
自分の身に照らして、大いに反省させられました(T)。

2013/12/20

不幸は幸福への始まり(4)

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いくら立派な育ての親だとしても実の母親ではないと知ることは、子供にとっては大きな心の傷として
一生取り去ることはできません。

中学の頃、母に何かいわれていつものように黙り込んでしまいました。
そのうち、母は買い物に出かけて、家の中には祖母と私の二人だけがいました。

私は、祖母に母のことを聞いてみました。
実は本当の母親ではないという答えが返ってきました。
祖母は、そのことについて「運命なんだ」といって私を諭してくれました。
そのときから「運命」という言葉をいつも思い出すことで自分を励まして生きてきました。
また、祖母がいたことで、兄と私にとっては育ての親からの今でいう虐待やいじめもなかったのだと
私は思います。
このことは、三世代同居の良い効果の表れでしょう。

中学の頃から、人間はなぜ結婚しなければいけないのかと考えました。
友達に「私は結婚しない」と話したことがあります。
そうしたら、「結婚しないという人に限って早く結婚する。自分の姉さんもそうだった」と話してくれました。

ある日、物思いにふけっている母の姿を見たことがあります。
私は、母は今、何を考え何を思い出しているのだろうと思っていました。
母もまたどうすることもできない自分の運命を考えていたのでしょうか?
自分の子供は育てることができずに、他人の子供を育てることに喜びや幸せを感じることができる
のでしょうか。
私にとっても、今の母は育ての親であって、生みの母が別にいることを知ってからというもの、生みの母は
どんな人であろうか、一度で良いから会うことはできないであろうか、また今の育ての母とは今後うまく
やっていけるだろうかなどとどれ位思ってみたところでどうしようもありません。
これが私の運命なのですから。自分ではどうすることもできないことが沢山あるのです。

そうはいっても不思議なものです。
いろいろなことがありながらも、家庭の中は一つにまとまり、良い方向へと流れていきました。
私たち三人の兄弟は、新しい育ての母の深い愛情に包まれながら成長していきました。

不幸だと思っていたことが幸せに変化していきました(C)。

2013/12/11

婚外子の相続差別撤廃問題

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先日、大変気になる内容がラジオのニュースで流れました。
今日はそのことについて書きたいと思います。

法の下においては、全ての人間は平等でなければならないということで、嫡出子(婚内子)と
非嫡出子(婚外子)とは平等に遺産を相続できるという判決がなされました。

しかし、このことは良く考えてみると、人間は好き勝手に結婚し、相手に対して愛が無くなれば、
勝手に不倫したり離婚したりしていることが問題であるのに、まるで一人の人間が沢山の
家庭を作ることを法律で奨励しているようにも見えます。

果たしてこんなにいい加減な男女関係で良いのでしょうか。
男女が愛し合って結婚したならば、お互いに「報・連・相」を密にし、日常のどんな小さなことに
対してでも授受作用をすることによって相手の心情を理解し、お互いの気持ちが一つになる
努力をすることが大切です。

日本もいずれ日本民族が二分し、双方で戦争ばかりして、相手が悪いとお互いに譲らず、
その内に滅んでしまうかもわかりません。

人間は同じ過ちを何回も繰り返して、それでもなお正しいことを見つけ出すことができない
のですね。
どうして家庭を崩壊させるような法律が簡単に成立するのでしょうか。
相手の家庭を破壊してまでも幸せになりたいのでしょうか。
これは大変に恐ろしいことです。

婚外子の相続差別撤廃を要求してきた人たちは、間違った主張をしています。
相手を不幸にした土台の上には決して幸せはやっては来ません。
それどころか、仮にこのような法律のもとに本人だけが幸せになったとしても、その子、孫、
代々永遠に争いが続くでしょう。その結果、その氏族たちは完全に滅亡することになるでしょう。

聖書の中にアブラハム家庭のことが書いてありますが、アブラハム家庭における本妻の子と
妾の子とのそれぞれの子孫である現代の人たちも未だに相手を許すことなく争い続けています。

これをして世間では宗教戦争といいますが、これは正に兄弟げんかの始まりが今や
民族・国家の争いにまで発展して、収拾の目処がついていないのです。

人が結婚するということは、男にしても女にしても一生の間に一人だけの相手しかいない
ということです。

一般に子供には責任はないといわれますが、それでは一体誰に責任があるのでしょうか。
勿論、親ですね。
ですから、親が正しい生き方をして、それを子供に伝えていくことが大切です。
家庭教育が必要である所以はここにあります(C)。

2013/11/30

不幸は幸福への始まり(3)

19920103宝剣岳a

何にもわからない兄と私は、幼くして両親の離婚という不幸を経験することになりました。
しかし、その後に新しい母を迎えて、私たちの家庭は再出発しました。

大なり小なりのいざこざや波風は、本当の親子関係においても勿論ありますよね。
私の家庭においても同じようにありましたが、新しい母を中心として徐々に幸福な家庭に形作られて
いきました。

世の中で一般に言われるように、兄も中学後半から高校にかけて反抗期に入って行きました。
兄のそのような姿を見ながら、私も反抗期に入っていきますが、母には嫌われないように、また自分の
居場所を確保するために、表面的には良い子を装っていました。

口答えはしませんが、黙り込んで2,3日無言のまま「プーッ」とふくれっ面を続けることで反抗していました。
その内、あだ名で「プン子、プン子」と呼ばれるようになりました。
そのような状況から、前にも書きましたが人前で話すことが苦手になっていきました。
そして、無言の世界に閉じこもって過去を振り返りながらいろいろと考えるようになりました。

母は兄を自分の思いや考えで育てていました。
母は、兄に「親のいうことと茄子の花は千に一つも仇はない」とか「朱に交われば赤くなる」とか言って、
友達を選びなさいと良く話していました。
私はそばでいつも聞いていました。
その様なわけで、要領よく人の機嫌をとる私でした。
(余談:茄子を植えて育ててみましたが、実際には肥料が足りないと、花が咲いても落ちてしまったり、
実がついたようでもいつの間にか無くなっていたりします)

一方、父は家族を大切にするような人ではありませんでした。
これでは両親の関係が良いはずがありません。
それでも母は父をたてていました。
再婚してまでも苦労している母の姿を見ながら、人間は、特に女性はそんなにしてまで結婚しなければ
いけないのだろうかと感じていました。

友達や仕事の先輩達は「結婚して幸せになります」といって退職していきましたが、私は結婚して幸せに
なんかなれっこない、結婚は墓場であると思っていました。
「幸せになる」といって退職していった人に限って、離婚して戻ってきました。

2013/11/26

不幸は幸福への始まり(2)

20020104三国峠3a

子供の頃の私は、自分について色々と考える人でした。
もし、隣のAちゃんだったらどんな気持ちで生きているのだろうかとか、アメリカ人やアフリカ人などの
外国人の場合はどうなんだろうとか、私はなぜ生まれてきたのだろうか? 生まれたくもなかったのに
親は何のために私を生んだのだろうとか思っていました。

私は祖父を知りません。私の祖父は早くに亡くなっていて、私は祖父の顔も見たことがありませんでした。
ですから、私は祖母が話してくれた内容をもとにいろいろと思い描いて私なりの祖父像を作り上げていました。

さらに、祖父母の前の人たちはどんな人だったのかと思い描きながら時代を遡っていくと、祖父母は
明治生まれでしたので、その父母は江戸時代だし、戦国時代だし、平安時代だし・・・・・・
要するに、ご先祖様達はそれぞれの時代に生きながら今日の私まで命をつないで下さったということです。

ご先祖様はどのような顔をして、どのような服を着て、何を食べて生活していたのだろうか等、私は一人で
あれこれと想像するそんな子供でした。

私はしゃべることが苦手で、従って自分の考えを相手に伝えることが大変苦手で、18~20歳の頃は、
対人恐怖症ではないかとさえ思っていました。

私の育ての母は、私の父との間に男子を出産しました。私に弟が出来て、祖母、父、育ての母、兄、私、
弟と6人の新しい生活が流れていきました。

新しい母は、兄と私を自分の子供だと思って育ててくれました。祖母は勿論ですが、育ての母も自分を
犠牲にして一生懸命に育ててくれました。反面、父は家を大切にする人ではなく、自分の好きなように
生きる人でした。


私は女の子でしたので、新しい母は私に洋服を作ってくれたり、セーターやカーディガンなども良く作って
くれたりしました。夏休みになるとお習字を教えてくれたり、洋服などの作り方も教えてくれました。
私は、沢山のことを母から学ぶことができました。私はこの母が大好きでした。

父はあまり好きではありませんでした。
友達に「お父さんとお母さんとどちらが好き?」と聞いたことがありました。
その友達が「両方とも好きよ」と答えたのを覚えています(C)。
2013/11/17

怒らない、焦らない、諦めない

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人間は感情の生き物です。
気に入らないことがあると怒りたくなり、
なかなか思うようにできないと焦りだし、
ちょっと頑張ってできなければ、簡単に諦めてしまいたくなります。

でも、果たしてこれで良いのでしょうか。

そもそも人は何のために生きているのでしょうか。
人は勝手に生きているのではありません。ご先祖様の血を受け継いで生きているのです。
世界に一つしかない尊い命、神様によって生かされているのです。
そして人は幸せになるために生きるのです。
この幸せになるという目的を達成するために、しっかりとした目標を自分に掲げて生きることが大切です。

日本では年間の自殺者が3万人を越えるという悲しい時代です。
こんな時代にあっても、生きる目的や目標が明確になっておれば、苦しいことにも耐えて途中で
迷うこともなく、忍耐強く希望を持って生きていくことができます。
今不幸であると思っていることがあったとしても、その不幸が幸福を呼び寄せてくれる時がやってきます。

人間は常にいろんな誘惑に晒されて、そのたびに心が動揺しがちですが、途中で目標を見失しなわない
ようにするためには、生きる目的と目標についての確固たる信念を持ち、ちょっとしたことで「怒らない、
焦らない、諦めない」ことが肝要であるといえるでしょう。

目標が達成できた時には、その目標が高いハードルであればあるほど、深い感動を得ることができます。
そして、生きていて本当に良かったと喜びの涙で心が洗われることでしょう(T)。



2013/11/14

不幸は幸福への始まり(1)

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浜村淳さんはラジオ番組の中でいつも「人それぞれにドラマあり」と語っておられ、視聴者の
方々の様々な体験談を心をこめてお話されていました。
そして私は、浜村淳さんのそのラジオ番組をいつも涙しながら聞いていました。

私にも私なりのドラマがありますので、今回はそれを少しづつ書き綴ってみたいと思います。

人は生きていく上において、右に行くか左に行くか選ばなければならない時が何度かあります。

しかし、自分が関わっていながら自分でそれを選択することができないことも多々あります。

私の場合、親の離婚によって兄は父の下で、私は母の下で暮らすことになったようです。

ところが、母の事情で、私は父のもとへ返されました。
これが、私の自分ではどうにも出来ない最初の選択でした。

しばらくして、新しい母親を迎えての生活が始まり、私の生き方や性格に大きく影響することに
なります(C)。
2013/11/11

為に生きる

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人はなぜ、何のために生きるのでしょうか。
この問いかけに対する答えは人によってさまざまであろうかと思います。
いくつかの例をあげてみましょう。

 ①お金を貯めて世界一周旅行とか宇宙旅行がしてみたい、

 ②趣味の奥義を究めたい、

 ③世界の最高峰を踏破したい、

 ④新技術を開発して、より住みよい、便利な暮らしができるように貢献したい、

 ⑤未開の地などで飢餓や病気に苦しんでいる人たちに援助の手を差し伸べたい、

 ⑥新薬を開発して、難病に苦しんでいる人たちを救いたい、

 ⑦自分が愛する妻や子供の幸せのために一生を捧げたい、

 ⑧地球環境の保護のために全精力を注ぎたい、

 ⑨戦争のない世の中を作って、世界平和のために尽くしたい、等など。

 他にもいろいろとあげることができるでしょうが、これらの多くは一言でいえば「為に生きる」
ということです。
 そうです。人が生きる目的は、神様からいただいた自分の命を粗末にしないで、「人を幸せに
する為に生きる」ことなのです。そして、それが自分自身が幸せになる結果にも繋がるのです。

 このように考えて一所懸命に生きましょう。
 そうすれば、神様にも喜んでいただけること間違いありません(T)。


2013/10/17

「頑張れ」の功罪

20040709唐招提寺7da

「頑張れ」という言葉は相手を励まし、勇気づける言葉としてしばしば用いられますが、
時と場合をわきまえて使う必要があると思います。

例えば、震災で肉親を亡くして悲しみのどん底に打ちひしがれている、あるいは長期間にわたって
心の病に苦しんで気力を喪失している人などに対して「頑張れ」という言葉はタブーです。

なぜなら、このような頑張れなくて頑張っていない人に対して「頑張れ」という言葉を使うと、
頑張ったからといって肉親が生き返ってくるわけでもなく、辛い辛い心の病が簡単に治癒する
わけでもなく、一体どうすれば良いの?これ以上何を頑張れというの?という返事が返ってくる
でしょう。

ですから、このような人に対して「頑張れ」というのはお門違いというか、無責任というか、
あまりにも身勝手な他人事のような言い方なのです。

この場合、「頑張れ}ではなく、ただそばに座ってその人の手に自分の手を重ねて黙って
一緒に涙をこぼしているだけの方がどれほど良いか知れません。

まず相手の苦境を理解し、共感することが大切なのです。
その意味で、上述のように体全体で「共感」の意を示した後に優しい言葉がけをしてあげれば、
相手にとっては砂漠の中のオアシスになるのではないでしょうか(T)。



2013/10/10

親がなくても??

19961103晩秋の奥多摩cab


巷では親はなくても子は育つとよく言われます。
確かに子は育つでしょう。

しかし、親が離婚したために片親の中で育てられた子供、再婚した新しい親のもとで育てられた子供、
里親に引き取られて育てられた子供、そんな子たちは沢山の心の傷を背負って生きていくのです。
永遠に消し去ることのできない心の痛手を・・・・・
生みの親に一目でいいから会いたいと思う一方で、自分を見捨てた生みの親が憎いという複雑な思い
を胸に秘めながら生きて行くのです。
その子たちが大人になり、結婚して人の子の親となったとき、果たして問題なく子供を育てていく
ことができるでしょうか。難しいでしょうね。

なぜなら、そのような環境で育った子供たちというのは自分の生みの親を信じることができなくなって
いるだけでなく、広く人間を信じることも困難になってしまっています。

その結果、自分中心的な考え方に陥って、頼れるのは自分しかいない、どんな場合も自分が正しい、
悪いのは相手と思うようになりますから、親となっても自分の子供に対しては自分の思う通りに
育てようとするために、何かにつけて親子間で摩擦が生じ、挙句の果てには家庭の中がバラバラに
なって、そこからいろいろな問題がでてきてしまうのです。

このような暗闇状態に陥らないように、子供は両親のもとで育てられなければいけないのです。
結婚というのは軽々しく考えてはなりません。
そして一旦結婚したら、自分勝手な都合で離婚してはなりません。
母親は子供たちに全力で愛を投入し、子供たちを裁かずに許し、全ての原因は自分にあると反省
しながら、先ず自分が変わっていくように努力しなければならないのです。
これは親としての責任というものですね(C)。
2013/10/07

5人に1人

20030414古城公園c


長い人生において、人はだれでも平等に幸せ半分、不幸せ半分を経験するといいます。

しかし、日本では国民の5人に1人が一生の間に心の病気にかかるといわれる時代になりました。
現在は、国民の11人に1人が心の病気を患っているといわれ、
うつ病の患者数はここ10年で2倍にもなりました。
さらに、過去10年以上、毎年3万人以上の人が自殺によって命を落としていて、
この内の75%が心の病気を患っていた人であるといわれています。

もはや、心の健康の問題は私たちにとって極々身近な問題になってきています。
そして心の病気を患っている人は、日々辛い辛い思いをしながら苦しんで生活しているのです。
加えて、心の病気は外見上では判かりにくいために、症状についての周囲の理解を得るのが難しい
ことが多いという問題があり、
その結果、対人関係において様々な誤解や支障が発生したりします。

このような心の病気にはいろんな種類があります。代表的なものをあげるとうつ病、統合失調症、
パニック障害、発達障害、性同一性障害、強迫性障害などです。

うつ病には人口の7~10%の人がかかるといわれており、気持ちが落ち込む、やる気が起きない、
集中力が低下する、夜眠れない、食欲がない、頭痛や吐き気がする、自分を責める気持ちが強まる、
死にたいと思ってしまう等の症状に苦しみます。

一方、統合失調症には人口の約1%の人がかかるといわれています。
患者さんは、実際には無いものが聞こえたり見えたりする(幻覚)、事実ではないものを確信してしまい、
修正できない(妄想)、これらの症状に関連してとても不安になったり、興奮して暴力を振るって
しまったり、人とのコミュニケーションがうまくとれなくなったり、うつ病と同じようにやる気が起きなく
なったり、気持ちが落ち込んだり、夜眠れなくなったりします。

またパニック障害は人口の2~3%の人がかかる病気です。
この病気では、脳の中枢の不調と不安な気持ちとの悪循環によって動悸や息苦しさが主な症状として
現れ、時に発作につながると、このまま死んでしまうのではないかという恐怖心におびえると共に、
このような発作がまた起きるのではないかという不安に曝されるため、日常の行動が制限されることに
なったりします。

発達障害は、先天的なさまざまな要因によって主に乳幼児期に現れ始める脳機能の発達に関係する
障害で、人とのコミュニケーションが困難になって、生活に支障をきたす病気です。

性同一性障害は、自らの性別に違和感や嫌悪感を持ち、生活上のあらゆる状況において、その
性別で扱われることに精神的な苦痛を受ける病気で、自己の意識に近づけるために手術によって
性転換を行う場合があります。

強迫性障害は、手の汚れが気になり、手や体を何回も何回も洗わないと気が済まない(不潔強迫)、
外出の際に家の鍵やガスの元栓を閉めたか気になり、何度も戻ってきて確認する(確認行為)、
車の運転をしていて、気が付かないうちに人を轢いてしまったのではないかと不安になる(加害強迫)、
などの症状があります。

では、心の病気といわれるこのような精神障害を患っている人達に対して私達はどのように接すれば
良いのでしょうか。

最も大切なことは、精神障害は「気持ちの持ちようでなんとでもなる」というような精神論的なこと
ではなく、あくまでも「心の病気である」と理解して接するようにすることです。
(1)障害者も健常者も同じ人間であることを忘れずに。
   障害者は好きで障害者になったわけではないのだから。
(2)傾聴し、共感する(必ずしも同意ではない)ことによって、相手を安心させる。
   相手を受け入れ、歩み寄り、相手が何を思っているのかに意識を向け、家族は味方であるという
   メッセージを送り続ける。
   自分の考えを押し付けない。自分の考えは最後にいう。
(3)相手の今を認め、良いところを見つけてほめる。
   相手は怠けているのではない。励ましは逆効果。   
   焦らずに静養させながら、回復の希望を持って接する。
(4)暴言を吐かれても穏やかに対応して鎮静化するのを待つ。
(5)「死にたい」という言葉がでたときは、絶対に自殺しないという約束を交わすようにする。
   毎日がへとへと状態で生きているのだから、生きているだけで立派。
などなど(T)
2013/10/01

真(まこと)の愛(4)

20040502縄が池4aca


核家族化が急速に拡大した1970年前後、世の中の夫は外で働き、妻は家で家事を分担して
いました。
私も、子供が生れてからは外で働くことは殆どしませんでした。
夫に家事を手伝ってほしいと思ったこともありませんでした。

しかし、最近の若い方は外で働きながらの子育てですから、本当に大変だと思います。
夫に家事を手伝ってほしいと思うのは当然でしょう。

ところで、夫に仮に手伝う気持ちがあったとしても、夫はきっと毎日、外で沢山のストレスを抱えて
帰ってくるのですから、そんな夫に家事を手伝ってとまではいえないですね。
夫の母親が「女性は結婚したら家事に専念して家を守る役割があるけれども、夫は家族を養うために
外で働かなければならず、外で働いている中で常に7人の敵に囲まれているので、精神的に大変な苦労
をしているのです」と言っていました。
ですから、夫が仕事から帰宅したら、家はくつろいでストレスを発散する場として考えてあげなければ
ならないのです。

そこで、前のブログにも書きましたように、三世代同居家族の形態が重要になってきます。
妻は、人生経験豊富なおじいちゃん、おばあちゃんに家事全般を助けてもらいながら、「知・情・意」を
教えていただいて成長していくのです。

そんな訳で、妻は夫を支えながら、おじいちゃん、おばあちゃんに感謝しなければなりません。
また夫婦でいい争ったり、喧嘩をしたり、悪口を言ったりするところを絶対に子供に見せたり聞かせたり
してはなりません。
子供が大人になってからも同じです。自分の悩みなどは決して言わないようにしましょう。

妻は、このようにしておじいちゃん、おばあちゃんに感謝しながら夫の為に尽くし、子供のために
尽くし、周囲の人々のために尽くしして「為に生きる」を実践することが大事です。

人の為に生きることができる女性はどんなに素晴らしいことでしょう。
そのように輝いている女性が沢山いることも私は知っています。

ここまで、恰好の良いことを書いてきて、あたかも私がこのように実践してきたかのようですが、
前にも少し書きましたように、私は子育ては上手にはできませんでした(C)。
2013/09/24

真(まこと)の愛(3)

20040118白鳥城跡(呉羽)より24b年賀用a


子供は家庭環境で人格の半分が作られると思います。
そして残りの半分は、先祖の影響を受け継いで生まれてきていると思います。

ですから子供は、沢山おられるご先祖様のどなたかに似ているのではないでしょうか。
例えば顔一つ見ても兄弟、姉妹ではお互いに多少は似ているところはあっても
同じ顔に生まれてきている子供は一人もいませんが、きっとご先祖様のどなたかに
すごく似ているのではないでしょうか。
性格についても多分同様でしょう。

では、家庭において子供を育てるにあたって最も強い影響を及ぼす人は
誰でしょうか?
以前、ある講演会で聞いたことですが、そこでお話しされた内容は、
母親の影響力が85%、父親の影響力が15%であり、
母親の影響力が最も大きいということでした。

私は自分の思うがままに自分中心で、子供の気持などはあまり考えずに
子供を育ててきましたので、このお話を聞いた時は本当にびっくりして
反省することしきりでした。
知らないということは本当に恐ろしいことですね。

父親の役割は、家族が生きていくために一生懸命働くことです。
そして母親は、父親が安心して仕事に出かけられる家庭環境を作る
ことが大切です。

家庭の中心は母親如何によって左右されると思います。
ですから、家庭の中にあっては父親よりも母親の方が大変重要な
立場にあると思うのです(C)。
2013/09/19

真(まこと)の愛(2)

20081201古城公園DSC_3480f


前回のブログの続きです。

子子孫孫繁栄していくには、どのような人間関係を作っていけば良い
のでしょうか。

先ず、お嫁さんを迎えるにあたってどのような心構えが必要であるか、考えてみたいと思います。

褒めることが大事ですね。
近所の人たちにもお嫁さんの悪口を言わないようにして、褒めることが大切です。

お嫁さんの言うことを安易に否定しないことです。
お嫁さんの欠点探しをせずに、良いところ探しをすることです。

お嫁さんに愛情を持って接することです。

先輩面しないことです。
お嫁さんの言うことに対して聞く耳を持つことです。
何でも言えて話し合いができる環境を作るように心掛けることです。

このようにして、姑さんが立派であればお嫁さんも立派になります。
そうすることによって、立派な家庭ができあがります。

次いで、お嫁さんが姑さんになって、新しいお嫁さんに同じように接していけば、立派な家庭が
引き継がれていきます。

ちなみに、私の叔母はいつもお嫁さんを褒めていました。

また、私が以前に住んでいたところでは、お嫁さんがいつもお姑さんを褒めて感謝していました。
この家庭は四世代生活をされています。
3代目のお嫁さんも、勿論素晴らしい方です。

一方、お互いに褒めることをしない家庭はどうなるでしょうか。
結果はおのずと明らかですね(C)。
2013/09/15

真(まこと)の愛(1)

DSC_3465da.jpg

今日は、妻の私が家族と家庭について考えてみたいと思います。

まず家族については、
おじいちゃんとおばあちゃんがいて、私たち夫婦がいて、子供たちがいて、
三世代が一緒に生活できることが理想的な家族だと思います。
私も三世代の中で育ちました。

一方、家庭は、私たちが一番願う幸せを作っていく所と考えます。

ところで、子子孫孫繁栄していくには、どのような人間関係を作っていけば良い
のでしょうか(C)。

2013/09/10

蝶は体内時計を持っている

Chrysozephyrus yakushimaensis ヤクシマミドリシジミ♂a

夏に山へ行くと、
緑色の金属光沢を持った翅で食樹の梢の周囲を飛び回るミドリシジミの仲間がいます。
キラキラと輝いて飛び交う様は、それはそれは美しいものです。
神様は、素晴らしい芸術作品をお創りになりました。

このミドリシジミの仲間には占有行動というのがあって、それぞれの体内時計によって、
種類毎に活動の時間帯を限定しています。
これは、余計な縄張り争いを避けて、種を保護するための摂理であるといえましょう。

私たち人間もお互いに争うことのない世の中を目指したいものです(T)。



2013/09/10

子供たちを愛する宮崎駿監督

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長年に亘り子供向けのアニメ映画を製作され、先頃引退された宮崎監督。
宮崎駿さんは、これまでに「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」、「崖の上のポニョ」等々、
数々のアニメ作品を公開され、世界中の子供たちに人気が高いことで有名ですね。

これらのアニメを見て映画館から出てくる子供たちの表情は、いつも生き生きとしている
といいます。

きっと、宮崎監督のアニメを見て、子供たちの心が豊かに、健康になったからでしょう(T)。
2013/09/10

プロローグ

DSC_3480gaa.jpg

はじめてブログを作成しました。
これから心の健康をテーマにして、徒然なるままに書き綴っていこうと思います。
どうぞ宜しくお願いします。
 
 うつ病の高島忠夫さんを長年に亘って看病されている中で、奥様の寿美花代さんは
「つらくても、相手に愛情を持って接することが大切」とおっしゃっているそうです。
素晴らしいことですね(T)。