2014/01/13

不幸は幸福への始まり(7)

20011020小田代が原1da

母は、兄に大学に行ってほしいと願っており、兄が中学の時にはご近所の学芸大学(現、教育大学)の
学生さんに兄の家庭教師を頼んだりしていました。
しかし、兄はこのような母の愛を率直には受け止めることができませんでした。
その理由は、丁度この頃に「今の母は自分を生んでくれた母ではない」ということを兄が知ったからです。
生みの母のことを知っている中学校の先生が兄に母のことを聞いてきたそうです。
それから随分と後になって、兄が私に話してくれました。

そのようなことがあって、兄は育ての親に「お母さんの見栄のために自分を大学に入れたいのか」といった
そうです。
このために、兄を大学に入れたいと一生懸命になっていた母は突然、兄に対する進学の心配りを止めて
しまったのです。私は「どうして?」と不思議に思っていました。

結局、兄は大学に行くことなく、高校を卒業すると就職しました。

高卒で社会人になった人達がみんな一様にいう言葉があります。
兄も同じように「大学に行っておれば良かった」といいました。

人はみな、学校を卒業したら社会に出て働くのですが、私たち兄妹もこのような世の中の通例の流れに
逆らうこともなしに社会人となっていきました。

しかし私は、一旦は就職してはみたものの、自分の心の中にくすぶり続けてきた小さな反抗心のためか、
あるいは世をはかなむ空しい心のためなのか、尼さん(シスター)になりたいと思うようになりました。
そして、家の近くや通勤の途上に教会がないか探しまわりました(C)。


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