不幸は幸福への始まり(2)

子供の頃の私は、自分について色々と考える人でした。
もし、隣のAちゃんだったらどんな気持ちで生きているのだろうかとか、アメリカ人やアフリカ人などの
外国人の場合はどうなんだろうとか、私はなぜ生まれてきたのだろうか? 生まれたくもなかったのに
親は何のために私を生んだのだろうとか思っていました。
私は祖父を知りません。私の祖父は早くに亡くなっていて、私は祖父の顔も見たことがありませんでした。
ですから、私は祖母が話してくれた内容をもとにいろいろと思い描いて私なりの祖父像を作り上げていました。
さらに、祖父母の前の人たちはどんな人だったのかと思い描きながら時代を遡っていくと、祖父母は
明治生まれでしたので、その父母は江戸時代だし、戦国時代だし、平安時代だし・・・・・・
要するに、ご先祖様達はそれぞれの時代に生きながら今日の私まで命をつないで下さったということです。
ご先祖様はどのような顔をして、どのような服を着て、何を食べて生活していたのだろうか等、私は一人で
あれこれと想像するそんな子供でした。
私はしゃべることが苦手で、従って自分の考えを相手に伝えることが大変苦手で、18~20歳の頃は、
対人恐怖症ではないかとさえ思っていました。
私の育ての母は、私の父との間に男子を出産しました。私に弟が出来て、祖母、父、育ての母、兄、私、
弟と6人の新しい生活が流れていきました。
新しい母は、兄と私を自分の子供だと思って育ててくれました。祖母は勿論ですが、育ての母も自分を
犠牲にして一生懸命に育ててくれました。反面、父は家を大切にする人ではなく、自分の好きなように
生きる人でした。
私は女の子でしたので、新しい母は私に洋服を作ってくれたり、セーターやカーディガンなども良く作って
くれたりしました。夏休みになるとお習字を教えてくれたり、洋服などの作り方も教えてくれました。
私は、沢山のことを母から学ぶことができました。私はこの母が大好きでした。
父はあまり好きではありませんでした。
友達に「お父さんとお母さんとどちらが好き?」と聞いたことがありました。
その友達が「両方とも好きよ」と答えたのを覚えています(C)。
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