2014/01/16

本心と邪心

19991196河口湖日没a

今冬は気温だけで見ると結構寒い日が続いてはいますが、今までのところ道路にも積雪がなくて、
この時期としては例年になく雪が少ないですね。
これは有り難いのやら有り難くないのやら、働いていらっしゃる皆さんからしてみれば、人によって
評価が分かれるところだと思います。

今はお金さえ出せば冬は暖房、夏は冷房の効いた環境で生活ができますから、その意味では
大変に過ごしやすい、有り難い世の中であるといえましょう。

しかし、めざましい科学の進歩によって人間の生活は益々便利になってきているとはいうものの、
その一方で一向に戦争が無くならないし、あちらでもこちらでも争いが絶えないだけでなく、
凶悪犯罪や自殺者の数が年々増えつつあるという現状をみたとき、遠い過去から現在に至る
までの人間には何か大きな足りないものがあることに気付きます。
それは一体、何でありましょうか。

人は誰でも、その心の中に本心と邪心とを併せ持っています。
本心は善の心、邪心は悪の心です。
ですから、人間は本心に忠実に生きていくべきですが、現実には、ややもすると邪心の方に
引っ張って行かれてしまいがちです。
そして、この邪心こそが人間の、社会の元凶となっているのです。

世の中から争い事がなくなり、心の豊かな人間関係に結ばれて、誰もが明るく生きていける
ようにするためには、私たちは、科学の進歩に基づく、より便利で快適な生活だけを追究する
のではなく、家庭で社会でそして世界中で「愛」の心をもっともっと育み実践するので
なければ世の中は良くはならないでありましょう。それには宗教の力が絶対に必要です。

科学による真理の追究と宗教による真理の追究、この両者を追い求め続けることこそが
私たち人間にとって重要です。

邪心を振り払って本心で、そして愛のある生活を生きていきましょう(T)。

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2014/01/13

不幸は幸福への始まり(7)

20011020小田代が原1da

母は、兄に大学に行ってほしいと願っており、兄が中学の時にはご近所の学芸大学(現、教育大学)の
学生さんに兄の家庭教師を頼んだりしていました。
しかし、兄はこのような母の愛を率直には受け止めることができませんでした。
その理由は、丁度この頃に「今の母は自分を生んでくれた母ではない」ということを兄が知ったからです。
生みの母のことを知っている中学校の先生が兄に母のことを聞いてきたそうです。
それから随分と後になって、兄が私に話してくれました。

そのようなことがあって、兄は育ての親に「お母さんの見栄のために自分を大学に入れたいのか」といった
そうです。
このために、兄を大学に入れたいと一生懸命になっていた母は突然、兄に対する進学の心配りを止めて
しまったのです。私は「どうして?」と不思議に思っていました。

結局、兄は大学に行くことなく、高校を卒業すると就職しました。

高卒で社会人になった人達がみんな一様にいう言葉があります。
兄も同じように「大学に行っておれば良かった」といいました。

人はみな、学校を卒業したら社会に出て働くのですが、私たち兄妹もこのような世の中の通例の流れに
逆らうこともなしに社会人となっていきました。

しかし私は、一旦は就職してはみたものの、自分の心の中にくすぶり続けてきた小さな反抗心のためか、
あるいは世をはかなむ空しい心のためなのか、尼さん(シスター)になりたいと思うようになりました。
そして、家の近くや通勤の途上に教会がないか探しまわりました(C)。


2014/01/04

不幸は幸福への始まり(6)

20040107上市より6ca

父母が父に対して怒る気持ちは私には良く理解できましたので、父がオーバーコートを買ってくれた
ことを大変恨めしく思いました。
父と母の二度目の大きな夫婦喧嘩は、私が社会人になった年でした。
私がハンドバックが欲しいといったので、これまた父が買いに連れて行ってくれることになりました。
買ってもらって帰宅すると、母は自分が思っていたものよりも立派なものであったために、
前回の時と同じように父と大喧嘩になりました。

それまで私は物心が付いたときから自分の欲しいものを買ってとは一度もいったことがありませんでした。
ですから、このことがあってからというもの、私は親に物を買ってもらってはいけないのだと改めて
自分に言い聞かせました。

そのことが私の習慣になりましたので、今でも何かものを買うときは、それが本当に必要なものかどうか
良く良く考え、できるだけ買わないように心がけて、買ったものの気持ちになって大切に使い、
最後は「有難う」といって処分しています。

結婚しても、夫は何でもすぐに買う人、私は要らないものは絶対に買わない人です。
ちなみに、その時のオーバーコートは娘がときどき着ています。
そして私が死んだときには棺に入れてもらう予定です。
そのオーバーコートも買ってから50年になりました。

思えば母も父からは何一つ買ってもらったことがありません。
日本も少しずつ豊かになり、巷ではテレビ、冷蔵庫、洗濯機などが出回り始めました。
近所や友達の家ではどんどん買いそろえていきますが、しかし私の家だけがいつも一番最後でした。
母はあるとき父に「冷蔵庫が欲しい」といったところ、父から「そんな贅沢なものは要らん」と
怒鳴られたと何年か経った頃に母が話してくれました。
母は辛抱に辛抱を重ねて私たちを育ててくれたのです。
私には、そんな母の気持ちが痛いほど良くわかります(C)


2014/01/04

不幸は幸福への始まり(5)

20040218自宅前よりba

大好きな母がどうして私の本当の母でないのか?私は本当の母であってほしかったと思ったものです。
しかし、どんなに立派な育ての母だとしても所詮、堕落人間です。
夫婦喧嘩も何度かありました。その中で、私が関係した大きな喧嘩が2回ほどありました。
その一つは、父が私に物を買ってくれたことが原因でした。

それは中学3年のお正月のことでした。
その年は父の会社の景気が悪く、ボーナスも本当に少なくて、母は家計をやりくりして、やっとのことで
お正月を迎えることができたようです。
そのお正月に、父はバスで1時間30分ほどもかかる家から遠い場所にある大きな町に私と弟を連れて
行ってくれました。
そこで父は私にオーバーコートを買ってくれました。

私は何度も「いらない」といったのですが、父は私の気持ちなど気にせずに買ってしまいました。
私は「いらないのに」と思いながらも少しは嬉しい気持ちになりました。
しかし、この買い物が家に帰って大きな事件になるなど、その時は考えてもみませんでした。

私がコートを着た姿を見るや、母はびっくりするよりもすごい剣幕で父に食ってかかり、ついに大喧嘩に
なってしまいました。
挙句の果てに母は「別れる」とまでいいだしました。
祖母は私のそばで、私と一緒に小さくなってうずくまり、黙って喧嘩が収まるのを待っていました。

次の日のことです。
家から歩いて40分ほどのところに母のお兄さんが住んでいるのですが、母は私と弟を連れてそこへ
出かけて行きました。
兄に相談するためでしょう。

私はその場所に私も一緒に連れて行かれたことが不思議で、当時の母の気持ちが未だに理解できません。