2013/12/30

雲泥の差

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情報誌のポスティング(配布)を行っていた時のことです。
とある家の前に来た時、玄関先の庭でご主人がマイカーの洗車をしていらっしゃいました。
「おはようございます。情報誌の〇〇です」
と声をおかけしたところ、そのご主人が洗車の手を休めて、
「これはこれは、有難うございます」
といって、両手を差し出して受け取って下さいました。
一方、ある家で玄関のドアの郵便受けに情報誌を投函したところ、家の中の多分ご主人と思われる人
が早速それを取り出すや否や、
「誰だ、こんなゴミを勝手に家に入れた奴は」
と大声でどなり散らす声が聞こえてきました。

新聞の購読料の集金を行っていた時のことです。
質素な佇まいのとある家では、私を正座して出迎えて下さった老夫婦が畳の上に両手をついて、頭を
畳にこすりつけんばかりにして、
「いつもいつもご苦労様です。ありがとうございます」
と心からの感謝の言葉を下さいました。
一方、ある家では、
「今、お金がない。出直してきてくれ」
とあまりにも冷たい返事でした。

人間模様の一幕を垣間見た瞬間でした。雲泥の差ですね。
自分の身に照らして、大いに反省させられました(T)。

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2013/12/20

不幸は幸福への始まり(4)

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いくら立派な育ての親だとしても実の母親ではないと知ることは、子供にとっては大きな心の傷として
一生取り去ることはできません。

中学の頃、母に何かいわれていつものように黙り込んでしまいました。
そのうち、母は買い物に出かけて、家の中には祖母と私の二人だけがいました。

私は、祖母に母のことを聞いてみました。
実は本当の母親ではないという答えが返ってきました。
祖母は、そのことについて「運命なんだ」といって私を諭してくれました。
そのときから「運命」という言葉をいつも思い出すことで自分を励まして生きてきました。
また、祖母がいたことで、兄と私にとっては育ての親からの今でいう虐待やいじめもなかったのだと
私は思います。
このことは、三世代同居の良い効果の表れでしょう。

中学の頃から、人間はなぜ結婚しなければいけないのかと考えました。
友達に「私は結婚しない」と話したことがあります。
そうしたら、「結婚しないという人に限って早く結婚する。自分の姉さんもそうだった」と話してくれました。

ある日、物思いにふけっている母の姿を見たことがあります。
私は、母は今、何を考え何を思い出しているのだろうと思っていました。
母もまたどうすることもできない自分の運命を考えていたのでしょうか?
自分の子供は育てることができずに、他人の子供を育てることに喜びや幸せを感じることができる
のでしょうか。
私にとっても、今の母は育ての親であって、生みの母が別にいることを知ってからというもの、生みの母は
どんな人であろうか、一度で良いから会うことはできないであろうか、また今の育ての母とは今後うまく
やっていけるだろうかなどとどれ位思ってみたところでどうしようもありません。
これが私の運命なのですから。自分ではどうすることもできないことが沢山あるのです。

そうはいっても不思議なものです。
いろいろなことがありながらも、家庭の中は一つにまとまり、良い方向へと流れていきました。
私たち三人の兄弟は、新しい育ての母の深い愛情に包まれながら成長していきました。

不幸だと思っていたことが幸せに変化していきました(C)。

2013/12/11

婚外子の相続差別撤廃問題

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先日、大変気になる内容がラジオのニュースで流れました。
今日はそのことについて書きたいと思います。

法の下においては、全ての人間は平等でなければならないということで、嫡出子(婚内子)と
非嫡出子(婚外子)とは平等に遺産を相続できるという判決がなされました。

しかし、このことは良く考えてみると、人間は好き勝手に結婚し、相手に対して愛が無くなれば、
勝手に不倫したり離婚したりしていることが問題であるのに、まるで一人の人間が沢山の
家庭を作ることを法律で奨励しているようにも見えます。

果たしてこんなにいい加減な男女関係で良いのでしょうか。
男女が愛し合って結婚したならば、お互いに「報・連・相」を密にし、日常のどんな小さなことに
対してでも授受作用をすることによって相手の心情を理解し、お互いの気持ちが一つになる
努力をすることが大切です。

日本もいずれ日本民族が二分し、双方で戦争ばかりして、相手が悪いとお互いに譲らず、
その内に滅んでしまうかもわかりません。

人間は同じ過ちを何回も繰り返して、それでもなお正しいことを見つけ出すことができない
のですね。
どうして家庭を崩壊させるような法律が簡単に成立するのでしょうか。
相手の家庭を破壊してまでも幸せになりたいのでしょうか。
これは大変に恐ろしいことです。

婚外子の相続差別撤廃を要求してきた人たちは、間違った主張をしています。
相手を不幸にした土台の上には決して幸せはやっては来ません。
それどころか、仮にこのような法律のもとに本人だけが幸せになったとしても、その子、孫、
代々永遠に争いが続くでしょう。その結果、その氏族たちは完全に滅亡することになるでしょう。

聖書の中にアブラハム家庭のことが書いてありますが、アブラハム家庭における本妻の子と
妾の子とのそれぞれの子孫である現代の人たちも未だに相手を許すことなく争い続けています。

これをして世間では宗教戦争といいますが、これは正に兄弟げんかの始まりが今や
民族・国家の争いにまで発展して、収拾の目処がついていないのです。

人が結婚するということは、男にしても女にしても一生の間に一人だけの相手しかいない
ということです。

一般に子供には責任はないといわれますが、それでは一体誰に責任があるのでしょうか。
勿論、親ですね。
ですから、親が正しい生き方をして、それを子供に伝えていくことが大切です。
家庭教育が必要である所以はここにあります(C)。