2013/11/30

不幸は幸福への始まり(3)

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何にもわからない兄と私は、幼くして両親の離婚という不幸を経験することになりました。
しかし、その後に新しい母を迎えて、私たちの家庭は再出発しました。

大なり小なりのいざこざや波風は、本当の親子関係においても勿論ありますよね。
私の家庭においても同じようにありましたが、新しい母を中心として徐々に幸福な家庭に形作られて
いきました。

世の中で一般に言われるように、兄も中学後半から高校にかけて反抗期に入って行きました。
兄のそのような姿を見ながら、私も反抗期に入っていきますが、母には嫌われないように、また自分の
居場所を確保するために、表面的には良い子を装っていました。

口答えはしませんが、黙り込んで2,3日無言のまま「プーッ」とふくれっ面を続けることで反抗していました。
その内、あだ名で「プン子、プン子」と呼ばれるようになりました。
そのような状況から、前にも書きましたが人前で話すことが苦手になっていきました。
そして、無言の世界に閉じこもって過去を振り返りながらいろいろと考えるようになりました。

母は兄を自分の思いや考えで育てていました。
母は、兄に「親のいうことと茄子の花は千に一つも仇はない」とか「朱に交われば赤くなる」とか言って、
友達を選びなさいと良く話していました。
私はそばでいつも聞いていました。
その様なわけで、要領よく人の機嫌をとる私でした。
(余談:茄子を植えて育ててみましたが、実際には肥料が足りないと、花が咲いても落ちてしまったり、
実がついたようでもいつの間にか無くなっていたりします)

一方、父は家族を大切にするような人ではありませんでした。
これでは両親の関係が良いはずがありません。
それでも母は父をたてていました。
再婚してまでも苦労している母の姿を見ながら、人間は、特に女性はそんなにしてまで結婚しなければ
いけないのだろうかと感じていました。

友達や仕事の先輩達は「結婚して幸せになります」といって退職していきましたが、私は結婚して幸せに
なんかなれっこない、結婚は墓場であると思っていました。
「幸せになる」といって退職していった人に限って、離婚して戻ってきました。

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2013/11/26

不幸は幸福への始まり(2)

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子供の頃の私は、自分について色々と考える人でした。
もし、隣のAちゃんだったらどんな気持ちで生きているのだろうかとか、アメリカ人やアフリカ人などの
外国人の場合はどうなんだろうとか、私はなぜ生まれてきたのだろうか? 生まれたくもなかったのに
親は何のために私を生んだのだろうとか思っていました。

私は祖父を知りません。私の祖父は早くに亡くなっていて、私は祖父の顔も見たことがありませんでした。
ですから、私は祖母が話してくれた内容をもとにいろいろと思い描いて私なりの祖父像を作り上げていました。

さらに、祖父母の前の人たちはどんな人だったのかと思い描きながら時代を遡っていくと、祖父母は
明治生まれでしたので、その父母は江戸時代だし、戦国時代だし、平安時代だし・・・・・・
要するに、ご先祖様達はそれぞれの時代に生きながら今日の私まで命をつないで下さったということです。

ご先祖様はどのような顔をして、どのような服を着て、何を食べて生活していたのだろうか等、私は一人で
あれこれと想像するそんな子供でした。

私はしゃべることが苦手で、従って自分の考えを相手に伝えることが大変苦手で、18~20歳の頃は、
対人恐怖症ではないかとさえ思っていました。

私の育ての母は、私の父との間に男子を出産しました。私に弟が出来て、祖母、父、育ての母、兄、私、
弟と6人の新しい生活が流れていきました。

新しい母は、兄と私を自分の子供だと思って育ててくれました。祖母は勿論ですが、育ての母も自分を
犠牲にして一生懸命に育ててくれました。反面、父は家を大切にする人ではなく、自分の好きなように
生きる人でした。


私は女の子でしたので、新しい母は私に洋服を作ってくれたり、セーターやカーディガンなども良く作って
くれたりしました。夏休みになるとお習字を教えてくれたり、洋服などの作り方も教えてくれました。
私は、沢山のことを母から学ぶことができました。私はこの母が大好きでした。

父はあまり好きではありませんでした。
友達に「お父さんとお母さんとどちらが好き?」と聞いたことがありました。
その友達が「両方とも好きよ」と答えたのを覚えています(C)。
2013/11/17

怒らない、焦らない、諦めない

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人間は感情の生き物です。
気に入らないことがあると怒りたくなり、
なかなか思うようにできないと焦りだし、
ちょっと頑張ってできなければ、簡単に諦めてしまいたくなります。

でも、果たしてこれで良いのでしょうか。

そもそも人は何のために生きているのでしょうか。
人は勝手に生きているのではありません。ご先祖様の血を受け継いで生きているのです。
世界に一つしかない尊い命、神様によって生かされているのです。
そして人は幸せになるために生きるのです。
この幸せになるという目的を達成するために、しっかりとした目標を自分に掲げて生きることが大切です。

日本では年間の自殺者が3万人を越えるという悲しい時代です。
こんな時代にあっても、生きる目的や目標が明確になっておれば、苦しいことにも耐えて途中で
迷うこともなく、忍耐強く希望を持って生きていくことができます。
今不幸であると思っていることがあったとしても、その不幸が幸福を呼び寄せてくれる時がやってきます。

人間は常にいろんな誘惑に晒されて、そのたびに心が動揺しがちですが、途中で目標を見失しなわない
ようにするためには、生きる目的と目標についての確固たる信念を持ち、ちょっとしたことで「怒らない、
焦らない、諦めない」ことが肝要であるといえるでしょう。

目標が達成できた時には、その目標が高いハードルであればあるほど、深い感動を得ることができます。
そして、生きていて本当に良かったと喜びの涙で心が洗われることでしょう(T)。



2013/11/14

不幸は幸福への始まり(1)

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浜村淳さんはラジオ番組の中でいつも「人それぞれにドラマあり」と語っておられ、視聴者の
方々の様々な体験談を心をこめてお話されていました。
そして私は、浜村淳さんのそのラジオ番組をいつも涙しながら聞いていました。

私にも私なりのドラマがありますので、今回はそれを少しづつ書き綴ってみたいと思います。

人は生きていく上において、右に行くか左に行くか選ばなければならない時が何度かあります。

しかし、自分が関わっていながら自分でそれを選択することができないことも多々あります。

私の場合、親の離婚によって兄は父の下で、私は母の下で暮らすことになったようです。

ところが、母の事情で、私は父のもとへ返されました。
これが、私の自分ではどうにも出来ない最初の選択でした。

しばらくして、新しい母親を迎えての生活が始まり、私の生き方や性格に大きく影響することに
なります(C)。
2013/11/11

為に生きる

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人はなぜ、何のために生きるのでしょうか。
この問いかけに対する答えは人によってさまざまであろうかと思います。
いくつかの例をあげてみましょう。

 ①お金を貯めて世界一周旅行とか宇宙旅行がしてみたい、

 ②趣味の奥義を究めたい、

 ③世界の最高峰を踏破したい、

 ④新技術を開発して、より住みよい、便利な暮らしができるように貢献したい、

 ⑤未開の地などで飢餓や病気に苦しんでいる人たちに援助の手を差し伸べたい、

 ⑥新薬を開発して、難病に苦しんでいる人たちを救いたい、

 ⑦自分が愛する妻や子供の幸せのために一生を捧げたい、

 ⑧地球環境の保護のために全精力を注ぎたい、

 ⑨戦争のない世の中を作って、世界平和のために尽くしたい、等など。

 他にもいろいろとあげることができるでしょうが、これらの多くは一言でいえば「為に生きる」
ということです。
 そうです。人が生きる目的は、神様からいただいた自分の命を粗末にしないで、「人を幸せに
する為に生きる」ことなのです。そして、それが自分自身が幸せになる結果にも繋がるのです。

 このように考えて一所懸命に生きましょう。
 そうすれば、神様にも喜んでいただけること間違いありません(T)。