不幸は幸福への始まり(3)

何にもわからない兄と私は、幼くして両親の離婚という不幸を経験することになりました。
しかし、その後に新しい母を迎えて、私たちの家庭は再出発しました。
大なり小なりのいざこざや波風は、本当の親子関係においても勿論ありますよね。
私の家庭においても同じようにありましたが、新しい母を中心として徐々に幸福な家庭に形作られて
いきました。
世の中で一般に言われるように、兄も中学後半から高校にかけて反抗期に入って行きました。
兄のそのような姿を見ながら、私も反抗期に入っていきますが、母には嫌われないように、また自分の
居場所を確保するために、表面的には良い子を装っていました。
口答えはしませんが、黙り込んで2,3日無言のまま「プーッ」とふくれっ面を続けることで反抗していました。
その内、あだ名で「プン子、プン子」と呼ばれるようになりました。
そのような状況から、前にも書きましたが人前で話すことが苦手になっていきました。
そして、無言の世界に閉じこもって過去を振り返りながらいろいろと考えるようになりました。
母は兄を自分の思いや考えで育てていました。
母は、兄に「親のいうことと茄子の花は千に一つも仇はない」とか「朱に交われば赤くなる」とか言って、
友達を選びなさいと良く話していました。
私はそばでいつも聞いていました。
その様なわけで、要領よく人の機嫌をとる私でした。
(余談:茄子を植えて育ててみましたが、実際には肥料が足りないと、花が咲いても落ちてしまったり、
実がついたようでもいつの間にか無くなっていたりします)
一方、父は家族を大切にするような人ではありませんでした。
これでは両親の関係が良いはずがありません。
それでも母は父をたてていました。
再婚してまでも苦労している母の姿を見ながら、人間は、特に女性はそんなにしてまで結婚しなければ
いけないのだろうかと感じていました。
友達や仕事の先輩達は「結婚して幸せになります」といって退職していきましたが、私は結婚して幸せに
なんかなれっこない、結婚は墓場であると思っていました。
「幸せになる」といって退職していった人に限って、離婚して戻ってきました。
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